’60年代9月晴れた日
80年代
90年代
00年代
70年代
↑MIDI♪付きです。
メンタルなお部屋
生れてから、今までの人生略歴・・・
ふるさとは秋田県・・・日本海に面した鳥海山の裾野に広がる平野で
子吉川の産湯につかりました。。三人姉妹の長女♪
少女時代は実に引っ込み思案な子だった。。。
どこかで変わりたいと、高校入学の時
変身した。地方だから・・・ちょっとした有名人になってしまった。ここにもしかして無理しちゃう私の原点があるのかも。。。。
必殺アルバイターだった。。
昼勤めて夜アルバイトして深夜のバイトのハシゴもした時があった。会社では連続東京本社招待されるほどの営業トップだった。当時現金支給の給料もボーナスも封筒が立ったほどだった。二十台半ば貯めた資金でお店を開業。思いがけなく繁盛店に。。稼いだ稼いだ稼ぎまくった。その代り税金も相当納めた(^^;
仕事が楽しかった。夢は果てしなく広がり、いつか東京でお店を
と思っていた。結婚も子供もまったく頭に無かった。
何軒目かのお店を開店したばかりの平均睡眠時間3時間程度の頃、身体が変・・・。シングルママになって私は上京し今のお店を創める為にアメリカに渡った。。。
生まれつきの病を持つ子を抱き、必死に生きた。相変わらず働いた。自営業だから休む事は許されなかった。意地で働いた。二人目の子供を東京で産んだ。全く休まないで頑張り続けた。。。
ミレニアムは上の姫が保育園卒園の年、早生まれの下の子は一歳児クラスだった。。もう既にメンタルな病気に陥ってて。。あがいて苦しんで必死に生きて来た。
異変に気がついてから・・・最初は子供の相談と称して心療内科に行ってみた。何度も病院を変えた。三年前に今の病院に決まるまで5軒のドクターショッピングをした。
二年前に自営業を休業・・・。いや、廃業・・・した。
もう働けない。。。。。
今・・・
こんな私たちと、私が最も深い病に伏していた時、ダーリンと知り合った。
子供たちが私達の縁を取り持ってくれた。
こんな私たちを必死に心配してくれて、祈ってくれ、そして助けて下さった。
もうダメかと・・・思っていたけど・・・立ち直れた。
そして、意地張って生きていくことをやめた。。
この人となら、生きていける。やっていける。もう絶対離れたくないって思った。私のダーリンは私の子供のパパになることも決心してくださった・・・。
だから、私は・・・仕事を辞め、病気を治し、家族の為だけに生きていく事を決心したら・・・、嘘のように、「病」から抜けた。。。
後は子供の病気と戦えるように気持ちを強くしたいと・・・そう思って。。。。