ずいぶん、奥のお部屋まで覗いてくれてありがとう。少しずつ、書いていきますからね。
メンタルなお部屋

- 相当前、ピンク色が好きだった、多分優しい色だからと思う。
でも、今は、青が好きになった。多分だけど、お空の色、海の色、地球の色だからかな・・・。
深い病に伏してた時は、常に、耳が雑音してた。今は、怖いくらいクリアーな耳になった。眼も良く見えなかった。今は小さなものも発見。何でも聴こえるような、体験した事の無い感覚の身体になった。雑音の無い世界、視野が広くなった世界に、いつの間にか、なってしまって、またそれが怖かった、。
そんな状態の中、私は、全く、手探りで育児をしてないようでしてた。
病へ入り口の時、子供は幼かった、ううん、赤ちゃんだった。必死に育てなければ、その必死が、入り口から深みへと嵌った。
数年経った。ある日、院長先生に訊ねた。「私の病気の本当の病名を教えてください」
「えぇーとねー、神経症。相当、疲れてたんだよ。だから、休みなさい。」
「・・・私、精神病患者ではないのですか?」
「そう、精神病では無いよ、ちょっと、神経遣いすぎたんだね、だから、神経休めないとね、出来るだけのわずらわしいものをちょっと誰かにたのめない?一人でやろうとしないで」
「私、わずらわしいというのが何だか、分かりません。しいて言えば、みんなわずらわしいです。テレビは一切ダメです。活字も読めません。音楽も聴く気になれません。お花も育てられません、何も出来ません」
「そう、今は何もしなくていいの」先生、にっこり。
「でも、活字って言っても、新聞とか本とか、読めないのに、ネットの掲示板とか読めるのです」
「僕にはそこが不思議な世界なんだなぁー。みんな、君と同じ病気の人はそう言うんだ。パソコン、やめなくてもいいから、少し休んでみない?欲しい情報だけでなく、どんどん、今の君にとっての、頭に入ってきては疲れちゃう情報を自分から手繰り寄せちゃって、どんどん自分で自分をマイナスにしちゃう、ところが君にはあるんだなぁ」
ここで、PD発作を起こした患者さんが、救急車で到着。
しばらく、診察室に一人にされる・・・。
院長室を眺めた。珍しいものがいっぱい。なんにも無い、空間なのに、何かを発見した。
先生が戻る。
「って、訳で、とにかくアセラナイ、考え込まない、ひとと比較しない、誰かに何かを言われたからと、それにいちいち反応しない。いいですか?分かりましたか?」
「うん。」とだけ答えて、私は、多分、薬を処方してもらって、家に帰った、。
ネット、やめれなかった。
どうしてもやめれなかった。
だけど、やめた。
なぜか、・・・?
気がついたときは、肩、腕、手首、お腹には鍵付、両足、身体全部、ベルトで固定され、管だらけ、胸には何か重い機械、点滴、酸素マスク、・・・、病院のベッドの上だった。
母が、居た。「母さん?」
「わっ!?、気がついた?」
ナースコールされた。
無意識という、意識の中で、自殺を図ったらしい。覚えてないのだ。心肺停止で運ばれた、救急医療センターから、田舎の両親へ「危篤」の知らせが行ったらしい。その後が大変だった、暴れた、そうとう暴れた。声が出ない状態なのに叫んだ、注射を打たれた、起きる、暴れる。
胃洗浄らしき事をしたらしい、それも教えてくれなかった、が、これは、墨の色です、と、泣きじゃくる、暴れる、私を何人もの看護婦さんが、私のオムツを取り替えながら、黒く紫な、便を何度も取り替えてくれた。優しさに、触れた…。観念した。暴れるの、疲れた。やめよう。
- 私はおとなしくナイチンゲールさん達の言う事を聞いた。何日か経った。。
-
- 数日後シャンプーしてもらえた。え!?どうやって、縛りつけ状態で、シャンプー出来るんだ。
私の状態が落ち着いてから、家族の面会が、夕方だけあった、子供達以外の面接。何故か絶対に、子供達には会わせてくれなかった。そうだ、子供、子供、子供!!
帰らなきゃ、家に帰らなきゃ、そうだ、こんな事してられない、帰して、懇願した。
数日後、退院して、救命センターから、いつもの精神科へ。
担当Dr.に一時間も、私はしゃべったらしい。内容は覚えてない。
数日振りに家に帰った、ちっとも動けなかった、頓服飲んでパソコンに電源を入れた、。また、どうしても、怖い、不安、過呼吸、泣く、暴れる。そう、パソコンを禁じられた、。
寝たままの、私、何も出来なかった。何も出来なかった。子供達が、そして、祈りに祈って、私の命を繋ぎとめてくれた、ダーリンや「家族」のお陰で、寝たきりから少し起きられるようになれた。。。
約一年、経って、私は、ネットの世界に戻った。
私は、夫の事を 誰の前でも今はダーリンと呼ぶ。最愛の人だからだ。パパとか、お父さんとは言わない、ダーリンも、私をハニーと呼ぶ、とにかく、怖い、不安、、になったら、メールだ、メールが打てない、書けなければ、電話だ、私のこの恐怖を取り除く為に、携帯とPHSを持ってくれる、。
昔、出来なかった、お花が育てれるようになった。ダーリンも、毎日毎日、「今日のお花」を撮って来てくれる。忙しいのに、寸暇を惜しんで、メールとお花の画像とを送ってくれる。
私は昔。
!←、これが嫌いだった。
…。←これも、嫌いだった。
ブルーとか、黒とか、の字も嫌いだった。
いつの間にか、受け止められる様になった。
心配していた、お友達が、私を受け入れてくれた。私も心配していた、お友達が生きててくれた。よかった、。私は、一年ぶりに訪ねたお友達のホームページでそれを知る事になった…。
鬱。
心の風邪ではないと思う。風邪だったら、風邪薬で治る。
相談して居れる場所があれば、それでいい。吐き出す愚痴を相談を受け止めてくれる場所がみんな各々あるから、それでいい。書き込みが出来るから、それが凄い事だと思う。ホームページを作る自体が、凄い事だと思う。立派だ。未だ、パソコン、触れず、携帯のメールも打てない、人も居るんだって、知って欲しい。
詩を書ける。
歌を歌える。
絵を描ける。
お花を育てられる。
お花を観賞できる。
お花の名前を調べてみようと思う。
日記をつけてみようと思う。
実行にうつす。
こんな、難しい事が、出来るって、素晴らしくない?
空が繋がってる、見上げた空もお日様もお月様もお星様も、みんな、一緒なんだな、同じ、空の下なんだな。そうだ、同じ空の下なんだ。
同じ心に病を持つ方に・・・元気出せって言わない、ね。
私、元気出せなかった頃、そう言われるのが一番嫌いだったから。うん、みんな自分と同じって当てはめてもいけないのも知ってる、じゃあ、元気出せって、やっぱり、言えない、マイペースではなく、ユアペースで、ゆっくり、治しましょう。
治りますから、私も、完治はまだ致しておりません。
ただ、戦えるようになったのです。
テレビも、大好きな慎吾君の新選組だけは観れるようになりました。
映画は、ニモを観に行けました。
音楽は、生を聴きに行けるようになりました。
私は、運が、きっととても良かったと思います。
運は、転がすんです。転がって来ちゃったから、私は受け止めました。
完治したら、どうするか?院長先生は「マダ、考えるの早すぎる、今考えちゃダメ」って言ってる。だから、先のことは考えない。
私、半年工事中のままだったホームページを作ってみた。。鬱のひどかった頃ネットストーカーの被害に遭ったから。。。だけど、今、怖かったリンク交換も少しずつ少しづつ始めた。。。
私には吐き出す事は出来ても、受け入れのキャパシティが無いと、常々、感じていたが、少しでも同苦の病の方に勇気つけられるのであれば、私は語って行こうと決めた。。
私の母のニックネームは、ひまわりさんです。
その母から生れた、私は、蒲公英のように生きていきたいと思うのでした。
- 蒲公英(タンポポ)は英語でダンディライオン・・・こんな私でも子供達を立派な獅子の子に育てていきたい。そんな思いを込めて、強い母獅子になりたくて私の事をライオンママと呼び、このページを作る次第となったんだ。
長い独白、最後まで読んでくれて、有難う御座いました。